wについて

wについて

わたしはwとの関係について、今、外にやることもあるのだがそれだけは心の中を整理しておきたくてここに書く。

wとの出会いは10年ほど前のある食事会だった。友人の紹介でそこにいたwはあまり愛想の良い感じではなかった。でも話していくうちに非常にうまが合うことがわかった。

その後、私はwとよく会うようになりよく一緒にいた。ただwが私と出会う1週間前に婚約していたことを知り、「そんなのやめてしまえ」と言ったがwが決めたことだからそれはそれとわかっていた。もうそう言うのをやめてほしい、言われ私たちの関係はそこで未来のない男女が決定したのだが今後は人として関わったいくのだと悟った。でもわたしにはほかにいないと思う相手だった。wもわたしになんらかのシンパシーを感じていたはずだった。

そうしてしばらくして1年に数回ただお茶を飲むだけの仲を続けていた。なぜならwとは真剣に仕事の話をする時、真面目に人生を語るとき、なくてはならない存在だった。これからわかるように私もwも仕事や人生に命をかけたいと思うような熱血タイプだった。私はちょうど人生を違う舞台に移したばかりでそれが最も必要だった。wはそれだった。なぜかwは他の人と違うのだった。他にwのような人がいないと今でも思っている。

だんだんwとの仲は友達以上恋人未満のような状態になり、時々友達以上であると言うようなプレゼント交換をしたり長く一緒にいたりしたこともあった。そもそも私は友達以上に見てくれ、と強く願っていたような気もする。とはいっても3ヶ月に一度2〜3時間、喋り倒して解散するだけ。わたし自身仕事に夢中で、求めているようでたまに会える仲で十分だった。

ただ私はwの人生の伴侶になりたいと思った時期があった。3ヶ月に一度会う伴侶など存在しないのだが、わたしがwが自分の手の中にあって欲しいと思ったことがあった。それが時々自分を寂しく苦しくさせた。なぜ自分は孤独なのかってことを考えると苦しくなるのだった。

人生をつまずくごとにwがくれた助言があったこと、言ってくれた事、心から感謝している。
でも次第に恋人未満友達以上の関係が続くにつれ私はこの関係は何になるんだろう、どう心に留めておけば良いのだろうと難しくなってしまった。これ以上求めることもできず、これ以上下がることも負けたような気持ちになる(だれに?w)など、自分の心の声があった。

wが結婚したときそんな声を捨て、友人として付き合おうと始めた関係だったのに。それに、自分は特別な場所に特別な人を連れて行くような時間は幸せだと思いつつも、これ以上wとそういう場所に一緒に過ごすべきではないと言う両方の考えがあった。

欲しいけれど欲しくないそんなような難しい感情があった。ならばもうしばらく、いやずっと会わない方が良いのだろう、と私から離れる決断をした。
もともと私から連絡をしなければwから連絡が来る事はほとんどなかった。

元気といえば元気と言い、落ち込んでると言えばすぐに電話をくれどうした?と言う。そしてひたすらしゃべって私たちはまた半年ほどつながりがなくなるような関係だった。

そういえば電話番号を知らないのだったSNS上の連絡先で会話をしていたそれでも私はwを強い存在だと思っていた。

いつだったかお互いがいいと思ってお店に連れて行こうと言う話があったwは高級志向でいろいろなホテルの何階とかそういうのが好きだった。私は下町の比較的リーズナブルででもおいしいと言われている食べログで見るようなお店が好きだった。

それをwはとても喜んでくれていた。自分の知らないことを教えることを喜んでいた。私もそーゆー性格だ。wのような人にもう会えないかもしれない。それでもいいのだろうか。

私は多動でせっかちで、なのに考え始めると急にカタツムリのように鈍くノロマでドジで、うまくいかないこともある。

それでも動き始めたら小さい駒のようにくるくるといつまでも待って自分を軸に生きていけるような強い人間だと思っている。そんな私をwは、すごい変わってるよねと言ってくれ褒めてくれた。

そしてある時一緒に遠くに行った時、私をそのままで受け入れる人と出会えるといいね、そのままを愛してくれる人と出会えるといいよね、と言ってくれた。私のそのまま。それはなんだろう。私のそのままでwを好きになった。だけれどもwの前ではwに好かれようと比較的ステレオタイプのダブルの性的な価値観に合わせたスタイルをしたような気もする。そういう自分がなんだかいろいろ含めて急に嫌になってしまった。私は私らしくいやそんな言葉は大嫌いなんだけれども、ただ単純に自分の皮を着て生きて愛さたいと思った。

最後にwと会ったときwは1軒目を出てでじゃあ気をつけてと送った。私は2軒目のない食事を初めて味わった。wにとって私はそういう愛の対象、または愛でもないが友達以上の対象から外れたのだと感じた。

それは私があの遠くに出かけた日から少しずつwに好かれる私ではなく、私が好きな私でいようと思い始めたことから小さな仕草や髪型や洋服の選び方小さなことから変わったように思う。そしてそれは良い兆しだったと今でも思っている。ただ今たった今、私はいつも通り多動で落ち着きがなく感受性がジリジリになっている人間で、それをwに話したいと心から思うのだった。そのような人にこれからまた出会えるのだろうか、そう思うと非常に寂しい気持ちになる。でもわたしは私の皮のまま愛される人間でいたいからこのままwなしに生きていこうとおもう。