想い1月

何があったら幸せなのだろう

おいしいご飯

きれいなおうち

美しいお風呂場

美しい庭

美しい髪の毛

美しい肌

思い描いた仕事

まあまあな暮らしとお小遣いを配れるだけの余裕

それは一体どれがどれだけあったらいいんだろうか
誰かと比べずに生きていくなんてとても難しい

ここ数ヶ月私はサラリーマンから離れ自分を取り戻すために自分が好きなこと自分のしたい生活を実践してきた
自分がやらされるのでなくにやりたいと思える事だけをひろう
それは傲慢になりがちなのだが、今まで企業の中での私は会社のためにやるべきことをなんでもやります、と言う人間だった

言い方を変えると何かのためにないと頑張れないようなタイプだった

それはこれからのわたしには必要でなかった

この引っ張り続けたバネのような余計な緊張を取る必要があった

私には私の本質をきちんと確かめる必要があった

自分を野放しにして自分から浮かんでくる感情を大切にしていた
そしてそれなりに好きな仕事でも仕事をもらえるようになってきたこの10ヶ月
私は成長したのだろうか少しでも

でもお金との関係はすごく悩ましく、まだ上手に折り合いがつけられていない
やりたいことで食べていけてるのだが、そんなに多くは無い
少しずつ増えせればいいのか
でも昔の私だったらそんなところに甘んじてたらいけないもっともっと稼ぐんだみたいな気持ちがあった

イーロンマスクを見れば彼は賢くて思いつきのようなアイディア世界を変えようもする
そしてそれを実行する実行力がずば抜けているのだ思う
私には発想力も実行力もないんじゃないかとイーロンマスクみたいな巨人と自分を比べて自分をわざと小さな穴に押し込む落としてしまう
私は何になりたいんだろうか
偉大な人になりたいのだろうか
どこかの占いに周りをあっと言わせたいと言うところが仇になると書いてあった
確かにそうかもしれない
自分が思ったことを感じたことをまとめるのが下手でその下手さを改善するだけでなくより立派なものにしようとしてしまう
本質的にまとめるのが下手ならまとめ方を考えて上手にまとめればそれで良かった

わたしは誰かのためと言う言葉が入るとその人の為であれば自分は良い仕事がしたいと思うことができた

自分の名誉のためになると、ギャフンと言わせてやろうとかあっと驚かせたいという気持ちが働いてしまうのだけど、
こんなものがあったら面白いよね、こうだったらもっといいんじゃないと仲間を鼓舞するような気持ちで仕事に挑むと時、私は素直になれている気がする
それは慈善というか善意というか何か人の役に立ちたいと言う純粋な気持ちだ

そこのみに自分の温度を持っていきたい

そうしよう

wについて

wについて

わたしはwとの関係について、今、外にやることもあるのだがそれだけは心の中を整理しておきたくてここに書く。

wとの出会いは10年ほど前のある食事会だった。友人の紹介でそこにいたwはあまり愛想の良い感じではなかった。でも話していくうちに非常にうまが合うことがわかった。

その後、私はwとよく会うようになりよく一緒にいた。ただwが私と出会う1週間前に婚約していたことを知り、「そんなのやめてしまえ」と言ったがwが決めたことだからそれはそれとわかっていた。もうそう言うのをやめてほしい、言われ私たちの関係はそこで未来のない男女が決定したのだが今後は人として関わったいくのだと悟った。でもわたしにはほかにいないと思う相手だった。wもわたしになんらかのシンパシーを感じていたはずだった。

そうしてしばらくして1年に数回ただお茶を飲むだけの仲を続けていた。なぜならwとは真剣に仕事の話をする時、真面目に人生を語るとき、なくてはならない存在だった。これからわかるように私もwも仕事や人生に命をかけたいと思うような熱血タイプだった。私はちょうど人生を違う舞台に移したばかりでそれが最も必要だった。wはそれだった。なぜかwは他の人と違うのだった。他にwのような人がいないと今でも思っている。

だんだんwとの仲は友達以上恋人未満のような状態になり、時々友達以上であると言うようなプレゼント交換をしたり長く一緒にいたりしたこともあった。そもそも私は友達以上に見てくれ、と強く願っていたような気もする。とはいっても3ヶ月に一度2〜3時間、喋り倒して解散するだけ。わたし自身仕事に夢中で、求めているようでたまに会える仲で十分だった。

ただ私はwの人生の伴侶になりたいと思った時期があった。3ヶ月に一度会う伴侶など存在しないのだが、わたしがwが自分の手の中にあって欲しいと思ったことがあった。それが時々自分を寂しく苦しくさせた。なぜ自分は孤独なのかってことを考えると苦しくなるのだった。

人生をつまずくごとにwがくれた助言があったこと、言ってくれた事、心から感謝している。
でも次第に恋人未満友達以上の関係が続くにつれ私はこの関係は何になるんだろう、どう心に留めておけば良いのだろうと難しくなってしまった。これ以上求めることもできず、これ以上下がることも負けたような気持ちになる(だれに?w)など、自分の心の声があった。

wが結婚したときそんな声を捨て、友人として付き合おうと始めた関係だったのに。それに、自分は特別な場所に特別な人を連れて行くような時間は幸せだと思いつつも、これ以上wとそういう場所に一緒に過ごすべきではないと言う両方の考えがあった。

欲しいけれど欲しくないそんなような難しい感情があった。ならばもうしばらく、いやずっと会わない方が良いのだろう、と私から離れる決断をした。
もともと私から連絡をしなければwから連絡が来る事はほとんどなかった。

元気といえば元気と言い、落ち込んでると言えばすぐに電話をくれどうした?と言う。そしてひたすらしゃべって私たちはまた半年ほどつながりがなくなるような関係だった。

そういえば電話番号を知らないのだったSNS上の連絡先で会話をしていたそれでも私はwを強い存在だと思っていた。

いつだったかお互いがいいと思ってお店に連れて行こうと言う話があったwは高級志向でいろいろなホテルの何階とかそういうのが好きだった。私は下町の比較的リーズナブルででもおいしいと言われている食べログで見るようなお店が好きだった。

それをwはとても喜んでくれていた。自分の知らないことを教えることを喜んでいた。私もそーゆー性格だ。wのような人にもう会えないかもしれない。それでもいいのだろうか。

私は多動でせっかちで、なのに考え始めると急にカタツムリのように鈍くノロマでドジで、うまくいかないこともある。

それでも動き始めたら小さい駒のようにくるくるといつまでも待って自分を軸に生きていけるような強い人間だと思っている。そんな私をwは、すごい変わってるよねと言ってくれ褒めてくれた。

そしてある時一緒に遠くに行った時、私をそのままで受け入れる人と出会えるといいね、そのままを愛してくれる人と出会えるといいよね、と言ってくれた。私のそのまま。それはなんだろう。私のそのままでwを好きになった。だけれどもwの前ではwに好かれようと比較的ステレオタイプのダブルの性的な価値観に合わせたスタイルをしたような気もする。そういう自分がなんだかいろいろ含めて急に嫌になってしまった。私は私らしくいやそんな言葉は大嫌いなんだけれども、ただ単純に自分の皮を着て生きて愛さたいと思った。

最後にwと会ったときwは1軒目を出てでじゃあ気をつけてと送った。私は2軒目のない食事を初めて味わった。wにとって私はそういう愛の対象、または愛でもないが友達以上の対象から外れたのだと感じた。

それは私があの遠くに出かけた日から少しずつwに好かれる私ではなく、私が好きな私でいようと思い始めたことから小さな仕草や髪型や洋服の選び方小さなことから変わったように思う。そしてそれは良い兆しだったと今でも思っている。ただ今たった今、私はいつも通り多動で落ち着きがなく感受性がジリジリになっている人間で、それをwに話したいと心から思うのだった。そのような人にこれからまた出会えるのだろうか、そう思うと非常に寂しい気持ちになる。でもわたしは私の皮のまま愛される人間でいたいからこのままwなしに生きていこうとおもう。

 

1か月

相棒が去ってから今日で1か月が経った。ささみとお花を買いに行こうと出かけた。今日は平日だと思い込んで仕事の人に連絡してしまった。今日は成人の日だったね。わたしはしばらくまともに仕事をしていなかったので、仕事上さっきの振る舞いはただしかったか、不安に駆られて動揺してしまった。メールの平べったいやりとりが尚わたしを不安にさせ、いいんだ、少し非常識なくらいでわたしは大丈夫なのだ、と自分を励まして終えた。

要らない葛藤を終えたわたしは、オークションで売れた商品の発送を片付けた。今月はあと5万くらいオークションでなんとかしたい。とは言っても、オークションはいつ売れるか決められるわけでもなく、期待するほど裏切られるのであてにしないようにしている。

けれど実際オークションのお金で生活費、特に食費を賄っているのが事実で、ここ1年いろいろあり断捨離生活に気が滅入るほど取り組んだおかげで、すっかりオークション慣れした。それに最近はどこでもオークションの電子マネーを使えるので助かっている。

仕事はしているが、いろいろあって本調子ではない生活がもう10か月以上続いているため、わたしには節約が必要だった。お供えに買うお花さえ今のわたしには高い買い物だと、小さなお供え用のような寂しい花束、340円を見て思った。相棒にはもっとパッと明るくなるようなひまわりのような花を添えたかった。ちょうどそこには花の苗が売っていて、もりもりと背の高いストックという花が売っていた。

4つも花をつけて100円だった。そうだこのこを買っていこう、そしたら育てる楽しみもあり、また来月もお花を添えられる。そう思って色違いを2つ。それから少し背丈のあるピンクの違う苗も2つ買った。家に帰ってからまず苗を植えて400円で立派な花束を相棒に供えた。相棒が最後に食べたさつまいもが冷凍庫に残っていたからそれもあげた。

おーい相棒。だいすきだぞ。はよ会いたいがしかし、君は元気な時、自由に生きていたね。そう思うんだよね。私たちに見向きもしないで好きなようにあなたのまんまでゴロゴロしたりガサガサしたりぎゃんぎゃん吠えて生きていたね。わたしもそのようにしていこうと思えたよ。最近。

自分のこと自分で誇りに思えなきゃね。われこそは。自由に生きてやると。泣いている場合ではない。感謝してるよ相棒。

2022

でかけたくないなら出かけなくても良い。誰にも見られたくないのであれば誰にも会わなければ良い。寂しいけれど誰でも良いから話したいわけじゃない。むしろお気に入り以外どんどん受け入れられなくなっている。
思いはわがままだ。

どうしてこうなってしまったか。わがままでいけないわけじゃない。やさぐれて自分がどうしようもない。
長い長い我慢がただ、ただ長く暗く自分にのしかかる。我慢して我慢して我慢していつまでたってもご褒美にありつけられず私はただのひねくれやろうと化してしまった。

そもそも何を実現したかったのだろう。
私が思い描いていた美意識とは。何だったのだろう。その世界は失われたのだろうか。
それともその世界は何か見間違えていたものなのかもしれない。今わたしは何を実現したいんだろう。過去が今に繋がらない。

美しさとはなんだろう。ぐるぐると考えていた。

若い頃はメディアや環境の影響で知らず知らずマウントをとっていたのだと思う。
誰かよりも〇〇である、それが自分に、自分の生活に磨きがかかった、と思っていたのだと思う。
自分が間違っていたのだろうか。

振り返るとやや小っ恥ずかしい気持ちになるのはやはり何かちょっとずれていたのだと思う。
若い時は〇〇のようになりたい、〇〇のではなく〇〇のようでいたい、
そんな何かに憧れたり自分ではない何かになろうと思っていた気がする。
コンプレックスからなのか、憧れがあっただけなのか、自分が好きではなかった。
しかし今もよくわからないのである。

わたしらしくいれば良い、などと言う言葉は吐きそうになる。そんなこと言いたくも言われたくもない。
らしい、なんていう曖昧な言葉が嫌だ。
私は絶えず動いているし流れているし変わっていく。私がわたしを理解するのは無理かもしれない。ただ流れを眺めているだけ。
流れていくところで出会う人と楽しく生きていければいい。そういうノマドの精神もあるのに、いや40歳までにあれを手に入れ、これを成し遂げ、、と誰かの常識のコピーを貼り付けて自分を縛り付けるわたしもいる。

たぶん私は人に愛されたい。大切だ、という行為を受けたい、それが今1番大きい。そしてできればもう少しお金を持ちたい。自由がほしい。

 

あとはゆったりした服をきて、お風呂あがりにそのまま公園でゴロゴロするような大地の中で暮らしたい。仕事もしなくちゃな。

それは好きな仕事をさせてもらっているからクリアしている。そうだ。好きな仕事をさせてもらえているじゃないか。でも普通と呼ばれる世間一般の収入には程遠い。でも少しずつ頑張ってくださいわたし。

死ぬまで生きるのだから好きでたまらない仕事でお金をもらえているだけよしとして。 

誰にも会わない時期があってもいい。静かに山道を切り開いて歩こう。心がぎりぎりでも今何かでわたしを頼ってくれ人を大切に。親切に丁寧に生きよう。

おそるおそる公園に行ってみた。

分かっているけど、相棒はいるわけない。わたしひとりのお散歩になってしまった。このアングルで、大きな木の下をとぼとぼあるく相棒を、写真におさめた。8月の頭だった。

早い。もう居なくなってしまった。たった4ヶ月で君は居なくなってしまった。

わたしは何をしていたんだろう。すっかり走れなくなった君をドッグランだねとか言いながら、リードを離したまま一緒に歩いたね。思い出にならない。まだ幻覚のようにすぐそこにいる気がする。そしてそのまま居てほしいような、思い出として遠くに行ってほしいような複雑な気持ちだった。会いたいなあ。寒くないかい。会いたいなぁ。

また会える日まで

先日相棒が旅立った。

もういつだっただろう、何日経ったのかよくわからないけれどあっという間の数日だった。

昨日火葬を終えて彼女は天国に旅立った。

火葬場の予約がいっぱいでそれまでの数日、相棒の亡骸は私の部屋にいた。
まるでぬいぐるみのように小さくなった相棒を見てなんだかこのままずっと一緒にいれるんじゃないかと思う位、おとなしく小さく可愛い姿であった。
毎日声をかけ毛布をかけ寒くならないようにといいつつも保冷剤で内臓が腐らないように冷やして数日過ごした。

死んでしまうと不思議なもので、これまでの介護生活から解放されたような安堵の気持ちと、人は(人でなくても動物も)消えてしまっても地球は回り続け日々の暮らし、空気は止まることなく流れていく冷たさ、あっけなさを感じた。

彼女は15歳だった。人間で言うところの90歳だ。彼女のハードはボロボロだった。

肺は変形し呼吸は全身を使ってゼェゼェしていた。腰も背骨も曲がっていた。右半身に麻痺があり真っ直ぐ歩きたくても右に曲がってしまい、同じところをクルクルと回ってしまうような状態だった。

それでも彼女はずっと無邪気で赤ちゃんのようだった。生きる希望と前向きな明るさを持っていた。

最後に病院に行った時痛みに苦しむのを鎮痛してもらおうと駆け込んだときのこと。

隣にいたのおばあさんが瀕死の相棒を見て「何歳ですか?かわいいですね」と言ってきた。

彼女は死に際においても子供のような可愛さ無邪気さをその表情に持っていた。

ハードがもう悲鳴をあげていたが、彼女の精神はまだまだずっと生きたい、生きれると言っていた。それが無念であった。最後は痛がりながらも家族の手の中で静かに動かなくなった。

不思議と彼女の魂が空気の中に広がっていくのを感じた。ああこれからは相棒に囲まれて生きてくんだ。わたしは寂しくないと思った。

この間、相棒の様子をそばで観ながら過去のことをいろいろ思った。どうしてもっと相棒に寄り添えなかったんだろう。どうしてもっと優しくしてあげられなかったんだろう。最期に外に連れて行きたかった。散々、散歩がめんどうだと言っていたのに。それでも相棒はいつも家族でいてくれた。わたしはこれまで自分のわがままや気分で余裕がないと嘆き、一緒にいれる幸せを放り投げて生きてきてしまった。こんなに取り返しつかないと思ったことはない。こんな思いはもうしたくないと思う。

相棒の亡骸が見えなくなってからひどく喪失感が湧いてきた。命が亡くなるか否かの分かれ目、それが最大の悲しみ思っていた。でもそこに物質として、いない、という喪失感は火葬後に大きくなり、死後より後にやってくるのだと思った。

わたしはぼんやりしている。しばらくぼんやりしていようと思う。相棒よまた会おうね。今度はたくさん散歩しよう。また会える日まで。

 

相棒の最期

相棒が最期を迎えようとしている。

相棒と出会ったのは15年前。

あまりに小さくて落ち着きなく動き回る毛むくじゃらの君がとてもかわいくてとにかく一緒に暮らしたいと思った。

出会った日のわたしは酒が入ってたから一旦帰って、次の日正気で考えてやっぱり迎えることにした。2007年の12月24日クリスマスイブだったね。

可愛くて可愛いくて…可愛いくてただただ可愛いかったよ君は。まさかこんなに大きくなるなんて思わなかったけど、笑

6キロあった体重も最近はあんまり食べなくなってどんどん痩せて、5キロ切ってしまった。

元気に一緒にいた時は、離して!って感じで気の強くて心身強靭な子だった。

今や横でやっと呼吸してる君を見ると、ああ、もともとか弱い小さな生き物だったなって気づく。もっと優しくもっと愛してあげられたような気がして、ごめんね。

相棒と生きた15年間、わたしは持つべきもの取るべきもの強くならねば独り立ちできぬ、と常に自分のことばっかりだった。

毎日の散歩だってやだなぁと思っていた。幸いわたしの家族は相棒を大変愛してくれて、わたしよりもそばにいてわたしより彼女をよく世話してくれていた。ありがとう、しかない。

自分の若い時がいかに気まぐれで、自己中だったか。自分のできること以上を求めて、家族や相棒を犠牲にしてきてしまったと思う。

反省してこれからを生きよう。

相棒よ。君の呼吸を感じでいれるわたしは幸せです。頑張ってほしいような苦しまないでほしいような気持ち。

いつ旅立ってもわたしがいるから寂しくないからね。